陽炎-いくさがみ-



風揺れる静間(しじま)の中…そこに男はいた。
ただ双眸を閉じ、そこにいた。

何かを鎮めるが如く。



何かを確かめるが如く。





そして、何かに想いを込めるが如く。

何か…。
それはそこにいた…。
男の背後にいるその「何か」は男を飲み込まんと憤怒の形相を浮かべている。

"我を解き放て…。"
その「何か」は懐かしい響きを以って男に語りかけた。
懐かしき声、強き声、王者たる声…。
そして…父の声でもあるその声は更に苛まんと男に語り掛ける。

"主(ぬし)が想い叶えんが為、我が力解き放て…。"
"………………………。"
男に応え(いらえ)はない。静寂の水面の如き双眸は何を想うのか…。
更に「何か」は親しげに語り掛ける。

"何を迷う?血は血で贖(あがな)わせねばならぬ。戦の不文律であろう?"
"我は我、己(うぬ)は己、我が心に潜む鬼よ、己(うぬ)に喰われる我ではない。"
"何を言う?我は主、主は我、主は我を偽れぬ。何故ならば我は主自身。己は偽れぬ。"
"ならば何故策を弄する?我が心の鬼よ。父が声を騙り、殊更に近きを圧し通すは何故か?"
"……。"
鬼と呼ばれる「何か」の語りが停まった。

"我を喰うか、鬼よ。我は王、我は拠り代、我はもののふ。我を御するは我のみ。"
"御せなくば…何とする?もののふよ"

"その問いは無益だ、鬼よ。己を御するがもののふ。武の字は双の矛を留めると書く。
もののふは常に二つの刃(やいば)を心に留め置く者。
御せぬ者、もののふを名乗る故も無くば、証も無し。
そして…我は果つるその時までもののふ。血枯るるその時までもののふなのだ、鬼よ"


鬼は愉悦とも・・・満足ともつかぬ奇妙な表情を浮かべた。
"左様か…。ならば我を御するがよい、もののふ。和主(わぬし)がもののふである限り
我は和主の傍らにて戦の舞、魅せようではないか…"

鬼の気配が消えた。そして男はゆっくりと双の眸を開く…。
男の中にあるもう一つの気配が消えた。
いや…二つの気配が一つになったその時であったのかも知れぬ。




男が進む道は覇道か、王道か、破滅への道か…。
鬼は知るのであろうか?
ただ…静かな風が男を優しく抱いていた…。




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